2009年8月 6日
コラソン・アキノさんの生涯
フィリピン共和国第11代大統領(在職1986年 - 1992年)。元上院議長の夫ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。通称はコリー。学歴はマウント・セント・ビンセント大学文学部卒業。学位は文学士(マウント・セント・ビンセント大学)。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。
コラソン・アキノは1933年、フィリピンタルラック州(Tarlac)の富裕な華人の家に生まれた。祖先は福建籍の客家である。結婚前の正式名は María Corazón Sumulong Cojuanco。1953年に、アメリカのニューヨーク州のマウント・セント・ビンセント大学を卒業。(フランス語専攻)
ベニグノ・アキノの妻に
1955年、22歳にしてタルラック州コンセプション市長であったベニグノ・アキノ・ジュニアと結婚した。夫ベニグノ・アキノ・ジュニアはその後、州知事から上院議員となったが、マルコス大統領と対立し、1980年、アメリカ・ニューヨークに亡命した。1983年、マルコス独裁打倒のため帰国したところマニラ国際空港で暗殺され、妻のコラソン・アキノが急速に反マルコス独裁の象徴となっていった。
大統領
1986年2月に行われた繰上げ大統領選挙に出馬し、マルコスもアキノも勝利宣言をする。この時、マルコス陣営の得票不正操作が判明し、エンリレ国防相やラモス副参謀長ら国軍改革派が決起し、結果100万の市民がこれを支持して通りを埋め尽くしたため、マルコスは権力を失い、コラソン・アキノが大統領就任を宣言、マルコス夫妻はハワイへの亡命に追い込まれた。これをエドゥサ革命、またはピープル・パワー (people power) と呼ぶ。
大統領在職中はしばしば国軍のクーデター未遂事件が起こった。1991年にピナトゥボ火山が大爆発し、被害は中部ルソン一帯に広がった。同年アメリカ軍のフィリピンからの撤退も決まった。
1992年に任期満了で職を去る。後継者に指名したのは1986年の革命で活躍し、その後参謀総長や国防省に任じていたフィデル・ラモスだった。その後、1999年6月から日本の三洋電機の社外取締役を務め、その後は最高顧問を務めたが同社の経営不振のあおりを受けて2007年3月末日で辞任した。
2008年3月に結腸癌であることを公表し、闘病中だったが2009年8月1日に死去、76歳だった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
大変偉大な方だったのですね。ご冥福をお祈りいたします。
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